ただのタイが好き、そして旅が好きなTripuncle代表の旅行ブログです。
2015年12月にネットショップ「Tripuncleアジアの暮らし雑貨」をオープン。関連記事も書いていきます。 Tripuncle アジアの暮らし雑貨にて、少しでも旅に行った気分になっていただけたら、という想いを込めて。。
時系列の問題があるため、左のバーにあるカテゴリーから読みたい記事をクリック願います。 途中からだと何の記事かわからないといったことが起きますので、カテゴリーから入ったほうが読みやすいです。
2015年12月にネットショップ「Tripuncleアジアの暮らし雑貨」をオープン。関連記事も書いていきます。 Tripuncle アジアの暮らし雑貨にて、少しでも旅に行った気分になっていただけたら、という想いを込めて。。

[
2012/08/11(土) ]
昔の話。
ルクセンブルクから、またしても列車に乗ってゴトゴトと3時間くらい揺られてベルギーの首都ブリュッセルへ。
さすがはユーロ圏で、国境というものがないに等しいので、
まるで、県境を新幹線で越えてきたような感じなので、
ルクセンブルクの次のベルギーにやってきたという感じはあまりしませんでした。
しかも到着したのはブリュッセル中央駅で地下駅だったから、
なおさらだったのかもしれませんね。
ツーリストインフォメーションで紹介してもらった宿は、
グランプラスから歩いて15分くらいのところにある、ちょっとした広場に面した
A LA GRANDE COCHE Hotel 1泊約6000円くらいでした。
ここまで来る間に、小便小僧も見ましたが、
よく注意していないと通過してしまいそうになってしまうような場所に位置していて、
「うーん。これが噂の小便小僧か・・・」と思わず唸ってしまいました。
予想よりも小さいと感じたし、普通に町の中の光景に溶け込んで、
普通にただマッチしながら佇んでいる、でそれでいて、小便小僧に目を向けてくれるのは、
観光客ばかりといった具合でした。
とりあえず写真をパチリ。
当時はデジカメでなかったので、ここにアップは今すぐにできないのが残念です。
グランプラスはとても綺麗な広場で、
ガイドブックに載っている写真そのままでしたので、
広場の真ん中に立って、ヨーロッパに来ているんだなあということをよく実感したことを覚えています。
なお、グランプラスの周囲には悪質なレストランがあって、
そこに入るとかなりの高額の料金を要求されるという噂もあったので、
おっかなびっくりしながら、その周辺のレストランを見て回ったのを覚えています。
我々は、当時は超節約旅行をしていたので、
そんなに高級なレストランなどに入るはずもなく、
ただそのレストランの雰囲気だけを感じて前を素通りするだけのことだったのですが・・・
そんなかんだで、ブリュッセルには1泊だけして、
次の目的地のブルージュにむかうことにしたのでした。
ブルージュについては次回に書くことにしてみましょうか。
ルクセンブルクから、またしても列車に乗ってゴトゴトと3時間くらい揺られてベルギーの首都ブリュッセルへ。
さすがはユーロ圏で、国境というものがないに等しいので、
まるで、県境を新幹線で越えてきたような感じなので、
ルクセンブルクの次のベルギーにやってきたという感じはあまりしませんでした。
しかも到着したのはブリュッセル中央駅で地下駅だったから、
なおさらだったのかもしれませんね。
ツーリストインフォメーションで紹介してもらった宿は、
グランプラスから歩いて15分くらいのところにある、ちょっとした広場に面した
A LA GRANDE COCHE Hotel 1泊約6000円くらいでした。
ここまで来る間に、小便小僧も見ましたが、
よく注意していないと通過してしまいそうになってしまうような場所に位置していて、
「うーん。これが噂の小便小僧か・・・」と思わず唸ってしまいました。
予想よりも小さいと感じたし、普通に町の中の光景に溶け込んで、
普通にただマッチしながら佇んでいる、でそれでいて、小便小僧に目を向けてくれるのは、
観光客ばかりといった具合でした。
とりあえず写真をパチリ。
当時はデジカメでなかったので、ここにアップは今すぐにできないのが残念です。
グランプラスはとても綺麗な広場で、
ガイドブックに載っている写真そのままでしたので、
広場の真ん中に立って、ヨーロッパに来ているんだなあということをよく実感したことを覚えています。
なお、グランプラスの周囲には悪質なレストランがあって、
そこに入るとかなりの高額の料金を要求されるという噂もあったので、
おっかなびっくりしながら、その周辺のレストランを見て回ったのを覚えています。
我々は、当時は超節約旅行をしていたので、
そんなに高級なレストランなどに入るはずもなく、
ただそのレストランの雰囲気だけを感じて前を素通りするだけのことだったのですが・・・
そんなかんだで、ブリュッセルには1泊だけして、
次の目的地のブルージュにむかうことにしたのでした。
ブルージュについては次回に書くことにしてみましょうか。
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2012/10/18(木) ]
2000年6月
だいぶ昔のことで申し訳ないですが、
とにかく、ブリュッセルでは、小便小僧にがっかりしたことくらいしか、記憶に残っていないので、
次のブルージュに話を進めていきます。
ブリュッセルの中央駅から列車に乗り込んで、1時間くらい行くとブルージュの町があります。
列車の料金は、意外と安いなあと感じた記憶が残っています。
ブルージュの駅に到着してみると、
駅にインフォメーションがあったので、そこで宿を紹介してもらって、
町までは徒歩で。
駅周辺に居る限りでは普通の街といった感もありますが、
地図を頼りに街の中へ入っていくと、そこはもう中世のヨーロッパのイメージでありました。
目抜き通りは、ツーリストで賑わっており、観光地といった風情も併せ持つものの、
そんな雰囲気の中に建つ周囲の建物は、ヨーロッパにやって来たんだな。
ということを、改めて実感させられるものでした。
今まではアジアの街々ばかりを、渡り歩いてきた自分にとっては、
この中世のヨーロッパという街の建物の醸し出すものは、
とても違った世界にやってきたという感覚を呼び起こしたのを覚えています。
ルクセンブルクもよかったけれど、これぞヨーロッパという光景にやっと出会えたのでした。
やはりアジアとは違うなあ・・・(当たり前だけど)
で、ブルージュの宿は
Nicolas Hotel
というインフォが紹介してくれたホテルへ。
マルクト広場からは、程近い場所にある、利便性の高いホテルでした。
ツインで約5000円くらいとの記録が残っています。
この宿は、ヨーロッパの小さなホテルというイメージに合うホテルで、
ブルージュの街が気に入ってしまったこともあり、ここに3泊することになりました。
今回はこの辺で。
だいぶ昔のことで申し訳ないですが、
とにかく、ブリュッセルでは、小便小僧にがっかりしたことくらいしか、記憶に残っていないので、
次のブルージュに話を進めていきます。
ブリュッセルの中央駅から列車に乗り込んで、1時間くらい行くとブルージュの町があります。
列車の料金は、意外と安いなあと感じた記憶が残っています。
ブルージュの駅に到着してみると、
駅にインフォメーションがあったので、そこで宿を紹介してもらって、
町までは徒歩で。
駅周辺に居る限りでは普通の街といった感もありますが、
地図を頼りに街の中へ入っていくと、そこはもう中世のヨーロッパのイメージでありました。
目抜き通りは、ツーリストで賑わっており、観光地といった風情も併せ持つものの、
そんな雰囲気の中に建つ周囲の建物は、ヨーロッパにやって来たんだな。
ということを、改めて実感させられるものでした。
今まではアジアの街々ばかりを、渡り歩いてきた自分にとっては、
この中世のヨーロッパという街の建物の醸し出すものは、
とても違った世界にやってきたという感覚を呼び起こしたのを覚えています。
ルクセンブルクもよかったけれど、これぞヨーロッパという光景にやっと出会えたのでした。
やはりアジアとは違うなあ・・・(当たり前だけど)
で、ブルージュの宿は
Nicolas Hotel
というインフォが紹介してくれたホテルへ。
マルクト広場からは、程近い場所にある、利便性の高いホテルでした。
ツインで約5000円くらいとの記録が残っています。
この宿は、ヨーロッパの小さなホテルというイメージに合うホテルで、
ブルージュの街が気に入ってしまったこともあり、ここに3泊することになりました。
今回はこの辺で。
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2015/11/23(月) ]
2000年4月
だいぶ昔にベルギーの記事を書いていて、
途中で中断していたので、少し復活させてみようかなということで、
今回は、ベルギーについての思い出など・・・
今は、ベルギーは地下鉄が停まったりと、
不穏な雰囲気に包まれていますが、
この話は15年前の話ですね。
ベルギーの首都ブリュッセルから、電車に揺られて
ブルージュという街まで移動してきました。
1時間くらいの乗車時間だったと記憶してますが。
駅からは、ブラブラと旧市街へ向けて歩いていったのでした。
途中はどんな景色だったか記憶はありませんが、
だんだんと町並みが中世の時代にタイムスリップしたかのような錯覚に陥るような光景に変化し、
街の中心部?にあるマルクト広場に着いた時には、
「なんだここは!」
という、あまりのヨーロッパ的な光景に、目を奪われましたね。
これぞヨーロッパの広場。
この後の旅行で多くの広場を目にすることになるのですが・・・
なので、ここに3泊しちゃいました。
翌日は、自転車借りて、サイクリング。
4kmほど離れた「ダム」という小さな町まで、
運河沿いをゆっくりと自転車で駆け抜けました。
何もない運河沿い・・・
途中でチェーンが外れて立ち往生・・・
とトラブルに見舞われつつ、楽しいサイクリングでした。
ダムは、何もない小さな街でした。
ナポレオンがその昔、この運河を作ったとか、
当時のメモ帳に記載してありました。
調べると、どうやら本当のようで・・・
宿泊した「Hotel Nicolas」は、どうやら閉業したみたいですね。
これも時代の流れでしょう・・・
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だいぶ昔にベルギーの記事を書いていて、
途中で中断していたので、少し復活させてみようかなということで、
今回は、ベルギーについての思い出など・・・
今は、ベルギーは地下鉄が停まったりと、
不穏な雰囲気に包まれていますが、
この話は15年前の話ですね。
ベルギーの首都ブリュッセルから、電車に揺られて
ブルージュという街まで移動してきました。
1時間くらいの乗車時間だったと記憶してますが。
駅からは、ブラブラと旧市街へ向けて歩いていったのでした。
途中はどんな景色だったか記憶はありませんが、
だんだんと町並みが中世の時代にタイムスリップしたかのような錯覚に陥るような光景に変化し、
街の中心部?にあるマルクト広場に着いた時には、
「なんだここは!」
という、あまりのヨーロッパ的な光景に、目を奪われましたね。
これぞヨーロッパの広場。
この後の旅行で多くの広場を目にすることになるのですが・・・
なので、ここに3泊しちゃいました。
翌日は、自転車借りて、サイクリング。
4kmほど離れた「ダム」という小さな町まで、
運河沿いをゆっくりと自転車で駆け抜けました。
何もない運河沿い・・・
途中でチェーンが外れて立ち往生・・・
とトラブルに見舞われつつ、楽しいサイクリングでした。
ダムは、何もない小さな街でした。
ナポレオンがその昔、この運河を作ったとか、
当時のメモ帳に記載してありました。
調べると、どうやら本当のようで・・・
宿泊した「Hotel Nicolas」は、どうやら閉業したみたいですね。
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2015/11/25(水) ]
2000年4月
ブルージュの中世の町並みに別れを告げ、
次の目的地のアントワープへ向かいました。
駅までは、また徒歩で戻り、
もっと居たいなーという思いと、次の街の期待感が入り混じって、
旅の途中を味わっておりました。
鉄道にて移動開始。
たぶん2時間くらいだったと思います。
途中で検札に来た車掌が、
「この列車はアントワープ中央駅には行かないよ。乗り換えてね」
と言われ、
Berchemという駅で下車して、別の近郊列車に乗り換えて、
無事にアントワープ中央駅に到着。
この日は宿探しに、かなり苦労したです。
何しろ、インフォメーションまでが遠い。
賑やかな通りをトボトボ歩いていったインフォメーションでは、「宿は全部FULL」と断られ・・・
バッグを背負ったまま、フラフラと2時間くらい彷徨う。
しかも、アントワープは、思っていたより大都会で、
ブルージュの中世の街から来ると、タイムスリップしたみたいでした。
人も凄く多く、重い荷物を持って歩くのに難儀しましたね。
諦めて、高いホテルしかないか・・・
と思いつつ駅から程近い「Terminas hotel」だったかな?
に聞いてみると部屋はあったのでした。
場所は、よく覚えてないんですが、
駅の近くで下にカフェがあって、そこでお茶した記憶がのこっております。
グーグルマップにて調べてみましたが、
場所の特定はてきませんでした。
当時の私の手帳には、「Terminas Hotel」と記載あります。
レストランのレジとフロントが兼用されてるホテルだったみたいですね。
たぶん、駅の本当にすぐ近くだったと思うのですが、
15年前のこと、なかなか思い出せないもんですね。
次は、
アントワープのフランダースの犬の像について書きます。
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ブルージュの中世の町並みに別れを告げ、
次の目的地のアントワープへ向かいました。
駅までは、また徒歩で戻り、
もっと居たいなーという思いと、次の街の期待感が入り混じって、
旅の途中を味わっておりました。
鉄道にて移動開始。
たぶん2時間くらいだったと思います。
途中で検札に来た車掌が、
「この列車はアントワープ中央駅には行かないよ。乗り換えてね」
と言われ、
Berchemという駅で下車して、別の近郊列車に乗り換えて、
無事にアントワープ中央駅に到着。
この日は宿探しに、かなり苦労したです。
何しろ、インフォメーションまでが遠い。
賑やかな通りをトボトボ歩いていったインフォメーションでは、「宿は全部FULL」と断られ・・・
バッグを背負ったまま、フラフラと2時間くらい彷徨う。
しかも、アントワープは、思っていたより大都会で、
ブルージュの中世の街から来ると、タイムスリップしたみたいでした。
人も凄く多く、重い荷物を持って歩くのに難儀しましたね。
諦めて、高いホテルしかないか・・・
と思いつつ駅から程近い「Terminas hotel」だったかな?
に聞いてみると部屋はあったのでした。
場所は、よく覚えてないんですが、
駅の近くで下にカフェがあって、そこでお茶した記憶がのこっております。
グーグルマップにて調べてみましたが、
場所の特定はてきませんでした。
当時の私の手帳には、「Terminas Hotel」と記載あります。
レストランのレジとフロントが兼用されてるホテルだったみたいですね。
たぶん、駅の本当にすぐ近くだったと思うのですが、
15年前のこと、なかなか思い出せないもんですね。
次は、
アントワープのフランダースの犬の像について書きます。
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関連タグ : ベルギー, アントワープ, TerminasHotel, フランダース,
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2015/11/30(月) ]
2000年4月
アントワープの町の中から、
市電に乗って揺られること、30分くらいだったろうか。
ホーボーケンという街までやって来ました。
何故、この街に来たかと言うと、
フランダースの犬とネロの像を見るため。
市電で30分もかけてやって来る物好きなツーストは我々ぐらいのもので、
ホーボーケンの街は静まりかえっており、
ただの住宅街の広がる場所でした。
適当に聞きながら、
フランダースの犬の像を探し当て、写真を撮って帰りました。
今考えると、よくこの像の場所を発見できたもんだなと感心しますね。
当時は、スマホなんてなく、
ホーボーケンの街のガイドブックはなかったはずです。
よって、地図なし情報なし、の状態で市電でやって来て、
ぶっつけで地元の人に聞きまくるという方法を取ってましたから。
まあ、それでも何とかなるもんなんですね。
このフランダースの犬の像は、
今でも健在で、
当時もボツボツ訪れる日本人がいたから、
地元の人も怪しい見知らぬ東洋人が来たら、
「像を見に来たな」とわかったのかもしれないですね。
このヨーロッパ3ヶ月放浪中は、
大した情報もなく動いてましたから、
15年と言う時間は、かなり情報というものを変えるのだなあ・・・と
今更ながら実感しております。
現在は、スマホ持っておれば、
怖いものないかもしれませんよ。
旅の楽しみ方が変わる時代になりましたね。
この後は、アントワープの町を見学して、
オランダのアムステルダムへ移動していくことになるのでした。
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アントワープの町の中から、
市電に乗って揺られること、30分くらいだったろうか。
ホーボーケンという街までやって来ました。
何故、この街に来たかと言うと、
フランダースの犬とネロの像を見るため。
市電で30分もかけてやって来る物好きなツーストは我々ぐらいのもので、
ホーボーケンの街は静まりかえっており、
ただの住宅街の広がる場所でした。
適当に聞きながら、
フランダースの犬の像を探し当て、写真を撮って帰りました。
今考えると、よくこの像の場所を発見できたもんだなと感心しますね。
当時は、スマホなんてなく、
ホーボーケンの街のガイドブックはなかったはずです。
よって、地図なし情報なし、の状態で市電でやって来て、
ぶっつけで地元の人に聞きまくるという方法を取ってましたから。
まあ、それでも何とかなるもんなんですね。
このフランダースの犬の像は、
今でも健在で、
当時もボツボツ訪れる日本人がいたから、
地元の人も怪しい見知らぬ東洋人が来たら、
「像を見に来たな」とわかったのかもしれないですね。
このヨーロッパ3ヶ月放浪中は、
大した情報もなく動いてましたから、
15年と言う時間は、かなり情報というものを変えるのだなあ・・・と
今更ながら実感しております。
現在は、スマホ持っておれば、
怖いものないかもしれませんよ。
旅の楽しみ方が変わる時代になりましたね。
この後は、アントワープの町を見学して、
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